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【偏差値77】早稲田実業高校

早稲田大学系属早稲田実業学校(わせだだいがくけいぞくわせだじつぎょうがっこう)は、東京都国分寺市に所在する私立小学校・中学校・高等学校。

概要
通称早実(そうじつ)・実業。早稲田大学の系属校である。理事長は早稲田大学総長の白井克彦(2009年9月現在)。学校長は早稲田大学教育・総合科学学術院教授の渡邉重範。初等部校長は多宇邦雄。

小中高一貫教育を行い、早稲田大学への推薦入学制度がある。推薦率の向上や共学化に伴って早稲田鶴巻町に所在していた頃より人気が上昇し、首都圏では難関校の一つである。大学への推薦枠は他の附属・系属校とは別に独自の枠として定められ、近年は高等部卒業生総数を上回る。平成20年3月卒業生では総数に対して97%超にあたる者が推薦制度で早大に入学した。

他の附属校と比較すると校則が厳しい(校内への携帯電話の持ち込み禁止など)。 校名は実業学校であるが、現在は普通科のみで実業教育は施していない。「早稲田実業高校」の表記が散見されるが誤記である。

校章
一対の稲穂を束ねた様子を図案化したもの。稲穂は早稲田大学系の学校の象徴である。

制服
初等部
男女共通 - 紺色の通学帽と紺色のブレザー。
男子 - 臙脂色のネクタイとタータンチェックの半ズボン。
女子 - 臙脂色のリボンとタータンチェックのスカート。
中・高等部
男子 - 黒色の詰襟学生服と一高型の学生帽(高等部は蛇腹織布を巻く。現在は着用自由)。
女子 - 紺色のダブルのブレザーとリボン(中等部は臙脂色、高等部は紺色)。

沿革
略歴
1901年(明治34年)、早稲田大学の前身である東京専門学校が大学としての基礎を確立したころ、創立者である大隈重信の教育理念を実現し、その建学精神に基づいた中等教育をめざして大隈重信の周囲の者達により設立された。

「豊かな個性と高い学力をもち、苦難にうち勝つたくましい精神力を兼ね備えた人物」を育成するために、校是として「去華就実」(華やかなものを去り、実に就く)を、校訓として「三敬主義」(他を敬し、己を敬し、事物を敬す)を創立当初から掲げてきた。また、多くの旧制中等教育学校が5年制をとる中にあって、独自の6年制教育を行っていた。

以来、実業界を中心に多彩な人材を世に送り出し、また大正期に入るとスポーツ活動の充実を図り、質実剛健の校風が確立されていった。その後、戦災で校舎は廃墟となったが、関係者の尽力により復興を果たし、第二次世界大戦後の急速な発展を見た。

2001年に創立100周年を迎え、それまで早稲田鶴巻町にあったキャンパスを国分寺に移転し、中学部の呼称を中等部に改称した。さらに2002年4月からは、早稲田大学の系列校では初めて中等部、高等部とも男女共学を実施、また、初等部を開設するなど、早実第二世紀にふさわしいスクール・アイデンティティーの構築を目指し、学校改革に取り組んでいる。

学校創立前後の経緯については岩波文庫『湛山回想』で石橋湛山による記述がある。

年表
[1]
1901年 - 早稲田大学の創設者たちにより、早稲田実業中学(3年制各種学校)が早稲田中学校の校舎内に開校。
1902年 - 早稲田実業学校と改称。甲種商業学校に編成され、修業年限を予科1年・本科4年・専攻科2年に変更。大成会発足。
1903年 - 早稲田大学の構内に校舎を構える。
1904年 - 修業年限を本科3年・専攻科2年に変更。
1907年 - 早稲田鶴巻町に校舎を移す。修業年限本科4年に変更・専攻科廃止。
1908年 - 予科2年を設置。
1912年 - 夜間部(2年制各種学校の扱い)設置。
1913年 - 校歌を制定。
1917年 - 早稲田騒動により、大学の傘下から離れる。
1925年 - 本科6年制に変更(予科廃止)。夜間部も4年制に延長(同時に甲種商業学校に昇格)。
1926年 - 早稲田商科学校(2年制各種学校)を併設。
1928年 - 昼間部を第一本科・夜間部を第二本科に改める。
1929年 - 早稲田商科学校を3年制に変更。
1933年 - 第二本科の修業年限を5年に変更。
1937年 - 武蔵関にグラウンド造成。
1942年 - 修業年限を5年に短縮。
1943年 - 修業年限4年に短縮。
1944年 - 早稲田実業学校としての生徒募集停止。替わりに早実工業学校を設置(翌年廃止)。早稲田商科学校廃止。
1945年 - 戦時教育令を受けて授業停止。空襲により校舎焼失。終戦直後は、早稲田中学校校舎の借用や青空教室などで授業を再開。
1947年 - 学制改革により新制の早実中学校設置(翌年中学部に改称)。
1948年 - 学制改革により第一本科を中学・高等部の6年制へ、第二本科を4年制の第二高等部(従来通り夜間部)に改編。
1957年 - 応援歌「若き力」・「伝統の旗」・「勝利の歌」発表。
1961年 - 大成会、新しく発足した生徒会に包括される。
1963年 - 「早稲田実業学校の早稲田大学系列下編入に関する合意書」調印。創立時の形態に戻り、早稲田大学系列に復帰。第二高等部廃止[2]。
1964年 - 普通科を設置。
1966年 - 2学期制に移行。
1975年 - 駒ヶ根校舎およびグラウンド完成。
1999年 - 武蔵関グラウンド閉鎖。
2001年 - 中学部を中等部に改称。国分寺市本町の新校舎に移転。創立百周年記念歌「ワセダ輝く」発表。
2002年 - 商業科募集停止。男女共学を実施。初等部開校。

学校施設
国分寺キャンパス(本部)
1号館 - ホール・普通教室・特別教室
2号館 - 体育館・食堂・ラウンジ・普通教室・特別教室
3号館 - 図書館・普通教室・特別教室
4号館 - 屋内運動場・部室
5号館 - 初等部校舎(普通教室・特別教室)
6号館 - 体育館(初等部用)
その他、グラウンド(中・高等部と初等部別に設置)や屋外プールなどが用意されている。
校舎移転前は新日本製鐵の関連施設があった。校舎も新日本製鐵が「環境にやさしい鉄骨造エコスクール」のコンセプトの下に設計・建設した[3]。[4]
駒ヶ根校舎
長野県駒ヶ根市に位置する。宿泊機能を備え、新入生のオリエンテーションや各クラブの合宿に利用される。2008年に建て替え工事が完成。
王貞治記念グラウンド
東京都八王子市南大沢にある。主に硬式野球部が練習・試合に使用する。2004年より使用。
過去に存在した施設 [編集]
旧校舎(早稲田鶴巻町キャンパス)
1907年4月 - 2001年3月まで使用された。旧制早稲田中学校の寄宿舎跡地を受け継いだものであった。現在は早稲田大学の120号館として、研究開発センター・大学史資料センターが置かれている他、大学の授業に利用される。
武蔵関グラウンド
東京都練馬区に所在した。1937年より運動場として使用されたが、1999年に、国分寺キャンパスへの移転に伴い閉鎖される。硬式野球部員だった頃の王貞治や荒木大輔らも汗を流した場所であった。戦時中は食糧増産のために生徒が野菜を栽培していたことがある。現在、グラウンド跡にはマンションが建ち、その近くには「早実グラウンド記念公園」が整備されている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』早稲田大学系属早稲田実業学校初等部・中等部・高等部





 
     
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